創世記14章1~24節から 「三人のアブラハム」 と題して語られたメッセージより


□ 創世記14116節  魂を追い求めるアブラム 

「ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。(Ge13:10~11)」と記されています。原語は「ロトは彼のために選んだ」です。ロトは目を上げて、「どこが自分にとって良い地か」「どこが自分にとって得か」を確かめた上で、自分のために選び取りました。そして、その地ソドムの住人になっていきます。

 その頃、エラムの王に反旗を翻したソドムの王たちに対して、メソポタミアの四人の王がヨルダン川東岸の町々を制圧しながら破竹の勢いで死海にまで迫ります。それを、ソドムの王たちがイディムの谷で迎え撃とうとするわけです。しかし、圧倒的な戦力の前に壊滅します。この戦争によって、良い地を選んだロトは戦争に巻き込まれ、全財産を失い捕虜となっていきます。人間の目の何という不確かなことでしょう。

 アブラムは、ロトが捕虜になったことを聞くと、直ちに家で生まれた僕318人と、盟約を結んでいたマムレ、エシュコル、アネルの三人の軍隊を招集してダンからダマスコの北ホバまで追跡します。距離にして200Kmほど。何故、アブラムはそこまでして追跡するのでしょうか。それは、そのままにしておくと、アブラムが神の声を聞いてロトとともに後にした、偶像礼拝の地バビロニアに連れ戻されるからです。アブラムが執拗に追跡してロトを助け出そうとしたのは、単に、肉体の命を救おうとしただけではなく、ロトの魂を助け出そうとしていたのです。自らの羊のために獅子と戦い、失われた一匹の羊をさがし求める羊飼いの姿をここに見ることができます。それは、神から離れていく私たちを助け出そうと捜し求めるイエス・キリストの姿です。

 

 

 創世記14章1~24節  献げるアブラム

 シャレムの王メルキゼデクが、シャベの谷まで戦いに勝利したアブラムを迎えに来ます。突然登場するメルキゼデクとは一体どのような人物なのでしょう。新約聖書は「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっている(Heb7:3)」と記しています。出エジプト後に定められるレビ族の祭司を凌駕している祭司です。メルクとは「王」、ツェデクとは「義」、シャレム(後にエルサレムとなる地)とは「シャローム・平和」という意味です。ですから、シャレムの王メルキゼデクは、平和の町から迎えに来た義なる王という意味です。しかも、聖餐式を彷彿させるパンとブドウ酒をもってアブラムを迎えるのです。私たちは、イエス・キリストを思わないわけにはいきません。聖書記者はこのメルキゼデクを「いと高き神」の祭司であったと記します。ここに「祭司」という職務が初めて人に対して与えられています。メルキゼデクは王であり祭司でした。そのメルキゼデクの職務とは、「神の僕アブラムに神の祝福を与えること(19節)」と「いと高き神に誉あれ」と人の側に立って「勝利を与えられた神を讃えること(20節)」です。ここに、神と人の間に立つ祭司の役割が明確に記されています。後にレビ族から出る祭司も同様の働きをしていきます。そして、イエスキリストも…。メルキゼデクは、神と人の間に立ち、いと高き神との執り成しをする者です。アブラムはこのメルキゼデクによって、神の祝福を受け入れ、自発的に十分の一を感謝の献げ物としてささげています。新約聖書は「一番良い戦利品の十分の一を与えた(Heb7:4)」と記しています。そして、自分にもたらされる勝利は神からのものであると告白するのです。すべての栄光を神に帰し、感謝の献げものをする。ここにアブラムの信仰を見ることができます。

 

 

 創世記14章1~24節  神を証しするアブラム

 もう一人、アブラムを迎えた者がいました。瀝青の穴に落ちたものの難を逃れたソドムの王ベラです。ソドムの王はアブラムに言います。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。(Ge14:21)」と。一見、謙虚に見えますが、戦いによって得たものは全て命をかけて戦った者たちのものになるのが慣わしです。ソドムの王は何も言えないはずなのに、アブラムによって国が守られたという恵みを忘れ、自らが再び王として立つことだけを考え、人々を返してほしいと言っているのです。「ベラ」という名の通りに「強欲」な生き方がメルキゼデクと対比されています。それに対してアブラムは答えます。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。(22節)」と。「すべての祝福は神から来ること」を証しようとするアブラムの信仰をここに見ることができます。糸一本さえも自分のものとせず、戦士たちが食べたもの以外は全てを返すとは、何と言う潔さでしょう。ここに信仰者アブラムの突き抜けた生き方を見ることができます。

 創世記14章1~24節を三回にわたって見てきました。ここに三人のアブラムを見ることができます。偶像を神とする異教の民と命をかけて戦い、失われようとするロトの魂を追い求めるアブラム。戦いに勝利したアブラムを神の祝福を携え迎えるメルキゼデクに、一番良いものを献げるアブラム。すべての祝福は生ける神からくることを証しするアブラム。三人のアブラムが、アブラハムの子孫である私たちの中に生き続けますように。

 

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