君は結婚のこと考えてる? 

 

   人間は一人では不完全な存在です。それで、もう一人の人間が「助け手」として与えられたのです。神が側に置かれた「もう一人の人間」を見た時、人は「これこそ、今や、私の骨からの骨、肉からの肉」と感嘆の声をあげました。これは、他の動物にはない「自分と共に生きる 同じ人格をもった存在」が与えられたことに対する「喜び」の叫びです。ここで間違えてはならないのは、神が与えられた「ふさわしい助け手」とは「助手」ではないということです。「助け手」という言葉は、聖書が書かれているヘブル語では「エゼル」という言葉ですが、この言葉は「神が人間を助けるとき」に用いられる言葉です。ですから、助け手とは「神のように 愛をもって夫を助ける者」のことです。ここまで読んだらもう分かるでしょう。つまり、神を知ることがなければ、女性は夫の仕事の手助けをする「助手」にはなることはできても「助け手」になることはできないということです。君の大事な将来の夫が苦悩する時に、深い絶望と悲しみの中で悶える時に、誰も触れることができないその心の奥深いところで 夫を支え助けることができないとしたら、女性である君は悲しいでしょう。

では、男性には何を求めているのでしょうか。聖書は「キリストが御自身をささげられたように自分を犠牲にして妻を愛すること」を求めています。君が、彼女の「美しさ」や 「才能」や 「持っているもの」に魅かれていたとするなら、描いていた理想が崩れていく時に、その愛も消え失せていくでしょう。そのような愛は、彼女によって自分を満足させようとする「自己愛」です。しかし聖書が男性に求める愛は「自分を与える愛」です。でも、悲しいことですが、私たち人間はそのような愛を持っていないのです。では誰が持っているのかと問いたくなるでしょう。聖書はこう言います。「神は愛だ。愛は神から出ている。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っている。(1ヨハネ47)」と。ですから、夫となる君もまた神を知らなければ将来の妻を愛することができないのです。このように、二人は神を知りながら、愛において成長していくのです。結婚の素晴らしさがここにあります。  

 

     神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。

    わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」         創世記 218

 

    夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、

     あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。            エペソ人への手紙525

 

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